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レオナルド・ダ・ヴィンチ

  • フィレンツェ付近のヴィンチ村の公証人の私生児として生まれた。
  • 父は絶倫家であり、ダ・ヴィンチは子供を作る意欲を失っただけでなく、子供を作るという行為そのものに嫌悪感を抱いたのではないかという説がある。
    • ダ・ヴィンチは一度も結婚しておらず、彼の身近に女性の影すらなかった。ただし、カテリーナという女性の葬儀をしたという記述が日記に残されているが、これは生母ではないかといわれている。
  • 画家として就職すると絵ばかり描いていないといけない。ダ・ヴィンチがやりたかったのは、原理の探求であった。そのため、ミラノ公にあてた就職依頼の自薦状の10項目のうち前半9個は武器の設計などができることを売り込んでいる。なぜならば、武器の設計なら、設計が終われば後は技術者や職人に任せておけばよく、次の研究に取り掛かることができるからである。
  • 自分の研究の成果を一切発表しなかった。
    • 近代科学が確立されていない時代には、学会やアカデミーというものはなく、石工のギルド(フリーメーソンの母体)や錬金術師たちはむしろ自らの発見を隠蔽しようとした。
    • 特許権がない時代には、新たな発見を発表しても得るものはなく、むしろ従来の常識に反する意見であったなら怪しい魔術師として糾弾され、宗教裁判にかけられる恐れさえあった。
    • そのため、ダ・ヴィンチは自分の研究成果を、ほとんどは自らの胸のうちにとどめ、備忘録としてわずかなノートに記したのみであった。
  • 解剖学的な関心から花を絵を描いている。

参考文献

  • 『ダ・ヴィンチの謎 ニュートンの奇跡』
  • 『岩波ジュニア新書234 遺跡が語る日本人のくらし』