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  • 幸島の猿 へ行く。

*目次 [#kb28c3e4]

#contents


*幸島の猿とは [#xcc2d080]

 1950年代、日本の科学者が幸島【こうしま】という小島で、猿たちにサツマイモを与えていたときに起こった。ある日、1匹の猿がサツマイモを洗う知恵を身に付け、それが他の猿にも伝わっていった。その食べ方がほぼ100匹の猿の間に広まったとき(これが臨界量)、一瞬にしてその島にいたすべての猿だけでなく、何マイルも離れた他の島の猿までもが、洗って食べるようになったというのだ。


*幸島の猿現象の影響 [#u5696871]

・この現象を政治にまで利用したのが、自然の理法党のジョン・ヘジリン教授である。 

 彼は、大統領選挙の公約として、都市部の荒廃問題を解決する計画の実行を挙げていた。その方法というのが瞑想である。ヘジリンとその取り巻き、特に超越瞑想法(TM)の支持者たちは、とりわけ瞑想を好む人々の間になら受けいれてもらえると信じており、もし多くの人々が一斉に瞑想に入り、その数がある臨界量に達すれば、結果として世界的に重大な変化を誘発することになるというのである。つまり、全人類がひとつにまとめる策として幸島の猿現象を取り上げたのである。 

・ライアル・ワトソンの『生命潮流』(1979年)やケン・キイスの『100匹目の猿』(1982年)はミリオンセラーになった。 

・エルダ・ハートリーは『100匹目の猿』という映画まで製作している。


*現象への反論 [#uaf052f9]

・1952年、霊長類学者たちはニホンザルが近隣農家を襲わないようにと、サツマイモを与え始めた。まず、1匹目の猿がイモについた汚れを小川や海で洗い落とすことを覚え、続いて他の猿たちも真似をするようになった。 

 ワトソンの本によると、「個人的な逸話と霊長類研究家の間のちょっとした俗信が、話の隙間を埋めてしまったのだろう。というのも、彼らの大半にはまだ何が起きたのかはっきりとわかっていないのだから。つまり、私も詳細に関しては、憶測で話をするしかないのだ」と認めている。そして、「数ははっきりしないが、幸島の猿たちはサツマイモを海で洗っていた」と推測しているが、これは正確な記述とはいえない。 

 また、続けてこうもいっている。「あくまで議論を進めるうえの方便として、ここではその数を99、時間を火曜日の午前11時とし、それまで通りの形でもう一匹が知恵を持った集団に加わったとしておこう。ところが、この100匹目がある種の臨界へと全体を押し上げる、数の境目だったらしい」。ここで、ワトソンは習慣が「自然の障壁を超越したために、他の島々でも自然発生的に現れたようだ」と続けている。ワトソンはここで推測で結論を出してしまっていることに注意して欲しい。 

・科学者とは、詳細を憶測で語ったり、逸話や俗信からいいかげんか仮説を導き出したりはしない。実は、何が起きたのかを性格に記録した科学者もいた(ボールドウィンたちは1980年、今西は1983年、河合は1962年)。 

 1952年に、まず20匹の群れから調査が開始され、島にいる1匹ずつがつぶさに観察された。1962年には、群れは59匹にまで数を増し、正確にはそのうちの36匹がサツマイモを洗っていた。この行動を'''突然(幸島の猿現象の支持者たちのいう突然)'''身に付けるのに実に10年以上もかかっており、実際には100匹の猿は1962年の時点ではたった36匹しかいなかったのである。


*参考文献 [#x0c110a6]

-『なぜ人はニセ科学を信じるのかI』