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  • 江戸時代の一揆 へ行く。

*目次 [#bdef7ba8]

#contents


*江戸時代の一揆 [#q3a521f9]

-江戸時代は元禄年間(1688〜1703年)を過ぎる頃から一揆が盛んになり、約160回も起きている。そのほとんどは失敗に終わり、一揆の首謀者である農民代表が磔になったりした。農民から犠牲者が出るが、支配者側も年貢を減免して、藩内の騒ぎを幕府に知られないようにするから、表面上失敗したように見えても実際には成功した例も多い。

**卯辰山【うたつやま】一揆 [#y2cd3180]

-安政5年(1858年)に加賀国([[石川県]])で起きた女一揆。
-13代藩主前田斉泰【なりやす】のとき、金沢藩氷見【ひみ】の漁師のおかみさんたちが集まり、「米よこせ運動」の一揆を起こした。
--安政年間は、日本海側全体が大飢饉に襲われた時期であった。米が不作のうえに、インフレが重なり、米の値が1升104文と普段の2倍に上がってしまったのである。しかも、大坂の堂島【どうじま】の米相場が高騰したので、藩内の乏しい米を高く売れる大坂に移出してしまう。そのため、ますます品不足となり、領民は餓死寸前になった。
-女性たちは金沢城に上訴しにいったが、藩主は会ってくれない。そこで、数千人の女性たちは金沢城の東側にある宇辰山に立て篭もり、二日二晩金沢城に向かってどなり続けた。たまたま在城中だった藩主は女性たちの迫力に圧倒され、藩米の移出を禁止し、金沢城下の米屋の米蔵をすべて解放した。さらに金沢城の貯蔵米まで放出して、ようやく一揆をおさめたのである。


**臼杵【うすき】一揆 [#q076991d]

-文化8年(1811年)に起きた女一揆。
-農民が[[結婚]]の自由を求めたことから起きた。
--当時、農民の自由結婚を禁じたのは、同じ藩内でも地域によって年貢に差があったからである。他の村との結婚を認めると、2つの村の情報交換が行われ、年貢の高い方の村が不満を抱く。そこで、農民同士の情報伝達を防ぐために、領主の許可がなければ結婚することができないようにしたのである。
--このような情報遮断の政策は、江戸時代では多く行われた。
-女性たちは竹の先に鎌を付けた武器で代官屋敷を襲った。
-女性ばかりのこの抵抗に音を上げた臼杵藩は、首謀者1名を磔にしただけで農民の要求をすべてのんだ。


*参考文献 [#w3e5abc3]

-『うめぼし博士の逆・日本史[1]』