*目次 [#r6da6f3b] #contents *先住民族の人口 [#x4495ab9] 世界には、総人口の4%にあたる2億5,000万人の先住民族が70ヶ国以上で暮らしている。そして、もしアフリカ特有の先住民族を含めるならば、その人口は2倍になる。 先住民族は、大多数の国で少数民族となる。ブラジルやスウェーデンでは先住民族の割合は0.1%以下、アメリカ合衆国では0.5%である。しかし、例外としてグリーンランドでは総人口の90%、ボリビアでは66%、ペルーでは40%にも達する。アジアでは総人口比にすると7%に過ぎないが、先住民族がもっとも多く集中している地域である。中国では8,600万人、インドでは5,100万人となる。 *先住民族と国境 [#ra29c4f3] 国境は世界中で先住民族を分断した。 例1:イヌイットはカナダ、グリーンランド、アメリカのアラスカ、ソ連の4カ国にまたがって分布している。 例2:西アフリカのフラニ(Fulani)は8カ国にまたがって分布している。 例3:パプア(Papuans)はインドネシア、パプアニューギニアにまたがって分布している。 世界先住民族会議では、先住民族の暮らしが第一世界(高度工業化社会)、第二世界(社会主義圏)、第三世界(発展途上国)とは異なっているので、第四世界という用語を採用している。ジョージ・マヌエルの言動を次に紹介しておく。 >「第四世界とは、その国の先住の人々の子孫でありながら、今日では自らの領土と資産の一部、あるいはすべてを剥奪された先住民族に対して与えられた呼称である。第四世界の民族は自らが属する近代国家に対して限られた、あるいはまったく影響力を持っていない」 第一〜第三世界では「土地は人のものだ」と信じているが、第四世界では「人は土地ののものだ」と信じている。 *土地はアイデンティティの一部である [#wa2a77d8] 聖なる夢想の場を外部の文化を守りながら、暮らしと先祖を一体化させて継承していく。土地に対する深い帰属意識が、世界中の先住民族のアイデンティティの中核を成している。 また、先住民族は、自分の言語、文化に所有する独自の民族であるという強固なアイデンティティを持っている。彼らは専従の意味を明らかにし、その意味に照らしてきちんと権利が認められるべきだと訴える。今は町に住み、公務員や弁護士として生計を営んでいる者もいる。一方、依然として伝統的な生活を営んでいる者もいる。そのいずれにしても、自らのアイデンティティを維持しながら、適応して生きていけるように願っている。 例1:アルバータに暮らすクリー(Cree) 例2:ペルー高山に住むケチュア(Quechua) 例3:インドのビハール森林で生きるサンタル(Santal) *先住民族の自然の知識 [#rdffb13c] ・ブラジルのカヤポの指導者であるポウリンホ・パイアカンは、森を「われわれの大学」と呼ぶ。このように森、つまりそれを含む大地は先住民族にとって切っては切れない関係である。 しかし、先住民族の知識は、自然の中だけではない。長老、シャーマン、そして治療師たちの頭の中に貯蔵されている。それは世代から世代へと口伝えに受け継がれる知恵である。その連鎖が壊れてしまえば、その知識は永久に失われてしまうのである。 ・先住民族たちは、世界の植物学者や昆虫学者によっていまだに鑑定されていない植物や昆虫にも名前を付けている。 例えば、フィリピンのハヌノオは彼らの森の中に1,600種の植物を区別しており、これは同じ地域で研究する科学者たちが区別する400種よりもはるかに多い。 ・現在一部の科学者たちは、エイズやガンなどの病気に新しい重要な特効薬を発見するのに先住民族の知識が助けになると信じている。 ・西洋世界の処方薬の少なくとも75%は部族民の薬草に由来する。現地の部族によって薬効があると認められた植物から、近代西洋医学の基準に応えられる薬を開発するには平均7年かかる。 *先住民族の資源管理 [#ddc6ca76] ・産業化した世界は生態系の危機に直面している。先住民族の経済はしばしば原始的と決め付けられ、その技術も石器時代のものとして片付けられ、ほとんどの政府は有料雇用からのみ利益を得られると考えている。学者たちもそう考えている者が多い。 しかし、伝統的な生活様式は非常な永続性を示している。これは、持続性によるものである。今日の先住民族たちは利用可能な資源を枯渇させることなく使っている。彼らは植物、土壌、動物、気候、季節に関する詳細な知識を、自然から搾取するためではなく自然の傍らで共存するために用いる。 環境破壊で現在の地球は弱りつつある。今こそ、先住民族の資源管理のシステムを見習い、参考にして環境問題を解決する術のひとつとして考えてみてはどうだろうか。 *先住民族における結婚 [#rfaeed7d] 結婚は多くの先住民族社会の社会体系にとって政治的、経済的、霊的に不可欠な部分をなしてきた。 例1:スーダン南部のヌエルにおいては結婚は2つのリネージの間に連帯である。リネージのために子供を産む女性を与える側は、牛という補償を受ける。 例2:タイのモンの場合、花婿はこうかな婚資を支払い、その見返りに妻は夫のクランの成員となり直接その世帯の権威のもとに置かれる。 [補講]単系出自集団のうち、はっきりとわかっている共通の祖先から成員が出自をたどり、その祖先との系譜関係が明瞭なものをリネージという。他方、成員が共通の祖先からの系統をひくと信じられてはいるが、その系譜のつながり方が明瞭でない単系出自集団をクランという。 MMORPGの一種であるリネージュというゲームは、「リネージ」と「クラン」が由来している。 結婚はまたコミュニティの政治的安定を集団の間の交換を統制することにより保証し、また霊の世界との調和の持続をもたらす。 本質的に宗教的な理由のために同じ親族集団の男女の結婚が禁止される例もある。逆に同じ親族集団内でしか結婚が成されない社会もある。 結婚を恋愛の結びつきに基づいた関係とみなす考え方はあるにしても、伝統社会では非常にまれである。 *先住民族と霊の世界 [#r1424147] ・先住民族は生存とは霊魂、自然、そして人間の生ける混合であるとみなす。すべてはわかちがたく、相互に依存しあいひとつなのだ。これは、年月を通じて神秘主義者と共有してきた全体論的ビジョンである。 ・多くの文化では宗教という言葉は存在しない。それが生そのものに緊密に融和しているからである。 ・多くの先住民族にとって霊魂は事物に浸透し、これを活性化する。このため初期の人類学者たちはこうした信仰をアニミズムと呼んだ。 *先住民族の分類 [#db409339] **サン [#y98a7e83] ・南アフリカのカリハリ砂漠で暮らしている。 ・人口は推定6万2,000人(ボツワナに2万5,000人、ナミビアに2万9.000人、アンゴラに8,000人) ・ボツワナから侵入してくる牛の牧童たちや最近のナミビアでの戦乱が、サンの伝統的な暮らしを困難なものとしている。 ・サンのコミュニティは、小規模なために土地資源を枯渇させることなく昔ながらの狩猟採集を続けることができる。領地内では少なくとも80種の動物が狩られる。 ・女たちは旱魃【かんばつ】の時期には受胎せず、狩猟でメスや幼少の獲物は狙わず、最小限の薪で火を起こし、ダチョウの卵に水を貯め、そして捕らえた獲物はほとんどあらゆる部分を使い尽くしている。 **サネマ [#m2a2cf60] ・南アメリカの熱帯雨林に残された最後の秘境(ベネズエラに位置する)と呼べるかなり隔絶された地域のひとつで暮らしている。 ・生計のすべてが森と畑によって賄われている。 ・サネマの人々は自分の感情を包み隠さずに表現し、互いの関心ごとを分かり合う。しかし、会話というのは他人あるいは外界とのコミュニケーションの手段のひとつでしかない。動物の呼び声、光の戯れ、種子の落下は物理的現象であるだけでなく複雑で象徴的な森からのお告げなのである。 ・サネマは土壌の搾取をしない農業システムを開発した。窒素の乏しい土壌でもたやすく育つ作物、例えばキャツサバ、バナナ、ココヤシ、プランテン(料理用バナナ)のような作物を栽培する。そして、疲弊した土壌を回復させるためによく移動する。 ・低蛋白の作物は狩猟で得た肉によって補完させることになるが、弓矢による狩りは村落から半径8km(=5マイル)以内で行われる。 **イヌイット(エスキモー) [#o04a0436] ・氷点下50℃(=-58°F)の気温、雪嵐、冬季の乏しい日照時間という北極の荒野に住む。 ・人口は10万人 ・ほとんどのイヌイットは現代では、賃金労働者である。 狩猟だけで生計を立てているのはグリーンランドに住む4万2,000人のイヌイットのうち800人にも満たない。彼らでさえ犬ぞりや槍や銛【もり】の代わりにスノーモービルやライフルを使っている。 ・イヌイットの伝統的な諸活動は、動物の生育周期によって決められた。 春になると巣作りする鳥やアザラシを狩猟し、夏にはセイウチなどの海獣がやってくる。秋にはアメリカトナカイを狩り、漁は一年中行われる。 ・イヌイットと北極グマはある種の親族関係を持つ。 クマは「力を授けるもの」と呼ばれ、猟師に人生の意義と男らしさをもたらす。それは潜在的に危険な狩猟の相手であるクマへの敬意によって決まる関係である。 **トゥカイ [#rf7938ec] ・アマゾンの熱帯雨林の北西部にあるブラジルのワウペス盆地では、川は魚が餌にできるような有機物をあまり含んでいない。それでも、トゥカノ・インディアンは持続的に漁をする技を身に付けている。その技というのは、長い経験によって得た自然の知識が根幹となる。ワウペス川は1年に2度洪水を起こす。それによって森林のへりから栄養素が水にこしだされる。この洪水が魚の餌となる川の有機物を増加させるのである。トゥカノの猟師は長い弓と毒矢を用いて、許された地域でのみ漁を行うのだ。これはBC20世紀頃、エジプトのナイル川下流に発達したエジプト ・彼らは、魚と彼ら自身の食料の間の壊れやすい均衡を保つ注意深い管理によって、タンパク質のほとんどを川魚から得ている。 ・川岸に沿った耕作や森林の伐採は禁じられている。なぜなら、トゥカノの信仰によれば、この部分は魚のものであり彼らにはその所有権はない。 **カヤポ [#p31c6ab5] ・ブラジル内のアマゾン全域の熱帯雨林に住んでいる。 ・カヤポは、250種の野生の果実、何百もの塊茎類、木の実や葉、そして少なくとも650の薬草を集める。 ひとつの村が、数日から時には数ヶ月もかかる採集旅行のために、2.5m(=8フィート)幅の小道を500km(=315マイル)にわたって切り開くこともある。道には、ヤム芋、果物、その他の食用植物が植えられる。 ・腐敗した植物やアリやシロアリの巣の肥沃な土を水の集まる場所へ運ぶことにより、広大なサヴァンナに肥沃な土地の「島」を復興させてきた。土がその生産力を回復すると、カヤポは時には10ヘクタールにも及ぶ広さの土地に木や草の種をまく。 **ポトラッチ [#r163c3ec] ・アメリカの北西の太平洋沿岸に住んでいる。 ・ポトラッチは、誰かが思春期、結婚、首長の座の継承、死などの人生の重要な節目を迎えたときに行われる。それは、物質的にせよ象徴的にせよすべての富は循環しなければならないという考え方に基づいている。無欲、気前のよさ、交換による富の再分配を名誉あることとする。儀礼的権利が次世代へ公的に移されるとき、威信をもたらす物が贈り物とされ、餐宴、スピーチ、歌や踊りを伴う。 ・植民地時代、ポトラッチは秩序の転覆をもたらすものとみなされ、その消滅を願って非合法化された。しかし、太平洋岸の大多数の先住民族が近代経済に参加する状況になっても、彼らは富の永続的循環の原理を固守した。これが彼らを支配社会から分かち、その文化的アイデンティティを主張することを可能にしているのである。 ・彼らは、カナダやアメリカといった近代国家における市民としての役割よりも部族の一員であることを優先させる。 **カレン [#l0534284] ・タイに住んでいる。 ・移動耕作または焼畑は、必ずしも環境を破壊することなく行える持続可能な経済体系である。 これはアジアやラテンアメリカの低地の先住民族の間でもっとも一般的に実践されるシステムで、彼らの高度な経済的自立と文化的保全を可能にしている。十分な土地と低い人口密度があれば森林を利用する非常にうまい方法といえる。 ・焼畑で7年周期で最初の開拓地に戻る。 ・カレンのコミュニティで金銭はほとんど見られない。十分な食物さえあれば村は裕福なのである。 **ムブティ・ピグミー [#h7600cc5] ・ザイールの熱帯雨林にある北東イトゥリに住んでいる。 ・狩猟採集民族。 ・ムブティ・ピグミーの一グループであるエフェと移動耕作民のレセの間に相互支援的な経済関係が発達している。この関係は1,000年以上続いてきたと考えられる。 **トゥアレグ [#qa5f595f] ・西アフリカに住んでいる。 ・遊牧は厳しい気候の広範な地域で成功を収めている畜産の一形態である。この種の牧畜の成功は牧畜民自身の柔軟性と移動性、そして環境の効率的な管理に依存しているのである。 **ケチュア [#ubd43244] ・アンデスに住む。 ・ケチュアの村では、土地はこれを両親から均等に相続する男女の双方によって管理される。コミュニティは「上側」と「下側」の2つの集団にわけられ、結婚は一般にこの集団内で行われる。結婚の目的は家族を結びつけ、資源としての土地を最も有効な方法で合体することである。二家族の間にしばしば複数の結婚が交わされ、両社の結束をより堅固にする。 ・女性は収入を生み出す上でも、世帯のやりくりの上でも不可欠な役割を果たす。男たちは臨時に農場で働くが、多くの家族ではその収入は女性に渡され、彼女たちがこれを管理する。 **マサイ [#ta9b4b9b] ・東アフリカに住む。 ・マサイ文化の中核にあるのが、同じ年齢層の者たちを集団に帰属させる年齢組である。強い友情が人々を一生涯結び合わせる。このシステムはマサイ社会に入るための持続的な準備であると同時に、個々人にコミュニティの中で地位を供与する手段でもある。 **ケダン [#d723e0ef] ・インドネシアのレムバタに住む。 ・ケダンのコミュニティは父系出自によって形成される集団からなる。各々の出自集団は結婚によって他と関係を持ち、こうした集団間の関係が全体の社会的機構をつなぎ合わせている。ひとつひとつの結婚は、妻の与え手と妻のもらい手との連結を生じさせ、それは経済的、政治的、宗教的な関係である。 ・結婚は、男性の母方のオジの娘、および女性の父方のオバの娘を含むマハンと呼ばれる親族と行われなければならない。 **マオリ [#u40c55d2] ・ニュージーランドのアオテアロアに住む。 ・マオリは、法典化された法律、法廷、裁判官などは持たないが、高度に発達した弁論を伴う裁判のシステムを確立している。イギリスが本国の法体系をニュージーランドに強制したとき、その法律はマオリ文化を一切考慮に入れなかった。 ・伝統的なマオリの裁判は、物質世界と霊的世界の両方に基礎付けられていた。小さな反則の矯正は共同体によって決められ、より重大なものは長老や首長によった。 **ホピ・インディアン [#e5dfd880] ・北アメリカに住む。 ・ホピの創造の物語は彼らの移動について伝えており、彼らの世界に関する知識や予言の豊富さの根拠となっている。 **アボリジニ [#z43cfed4] ・オーストラリアの先住民族。 ・ブーメランを発明したことで有名。 **ウファイナ [#o8f3fd26] ・コロンビア・アマゾンの北東部に住む。 ・彼らを取り巻く世界がエネルギーに満たされていると信じている。彼らの日常生活はこの信仰に影響され、ジャガーマンとして知られるシャーマンが実践的な知恵も宗教的習慣をも調整する。彼は、どの儀礼が行われるべきか、またコミュニティはいつ別の場所へ移るべきかも決定する。 ・彼は経験から、どの資源が絶滅の危機にあるかを知っており、霊的な予見によって導かれる。彼の責任は霊のエネルギーを動物、人間、霊界の間で移動させ、見えない霊的物質の危険な蓄積を防ぎ、生のよどみない流れを保証することである。 ・ウファイナはエネルギーの量には限界があると信じている。誕生においてその力のいくらかが体に入り、死においてそれは源に戻り、再びそこからリサイクルされる。この力には限界があり、統制されてすべての生あるものの間に注意深く循環されなければならない。ジャガーマンは各々の生の領域の間で調和的な均衡が維持されることを保障するために、個人とコミュニティを見守る。 *少数民族 [#f7e94114] **サンカ [#m272cdef] -[[山窩]] 警察用語と民俗学用語の両方の意味がある。 ***警察用語のサンカ [#sae3a3be] 警察用語の山窩【さんか】には次の3つの意味がある。 +移動性の凶悪犯グループ +特殊な技術を持つ侵入盗 +(1)と(2)をその内部に包摂していたある種の集団←警察はこれを準犯罪集団と捉えていただろう。 (1)(2)は本来サンカとは無関係の人々であっただろうが、サンカはその包容的性格によって、これらの人々を集団内に受け入れることがあった。(1)(2)がサンカ集団内に混入したのは明治初期の変動期であったといわれる。同じ時期、(1)(2)以外にも多様な人々がサンカ集団に混入していった可能性がある。これらの人々の混入によって明治以降サンカ集団は膨張し、かつ変容していった。そのため(3)のように、サンカ集団そのものが「山窩」として警察にマークされることもあった。 (1)(2)(3)とも明治末年には衰退に向かっていた。昭和初年には、「山窩」の存在そのものを知らない警察官が多数を占めるようになった。 ***民俗学のサンカ [#ie7e6363] ・現在まで定住することなく、山間水辺を漂泊する特殊民群の代表的なもの。 ・「ミツクリ」「ミナホシ」「オゲ」「ポン」などともいう。 ・西は九州から中国山脈、近畿中部から東は関東地方にも分布している。 ・単純な生活様式で、セブリと称する仮小屋または天幕によって転々と移動し、男は泥亀や鰻などの川魚を捕らえて売り、女は籠などの竹細工をする。これらによって、山農村と多少の交渉を持っている。 **サンカの語源 [#x1a5dcc7] ・諸説あるが、未だ定説というものはない。 ・サンカについて、民俗学の立場から最初に実証的な研究を行ったのは、後藤輿善である。彼は『又鬼と山窩』の中で、各地方で山窩がどのような方言で呼ばれているかを紹介している。紹介されている方言は、山窩の異称なのだろうか。いやむしろ方言が先にあって、それらを括る山窩という新概念が後から定着したというべきだろう。 ・それではそれら各地の生活者をなぜサンカと呼ぶようになったのか。単純な仮説として、警察用語としての山窩が語源ということもありえる。 明治期に、ある種の犯罪集団(あるいは準犯罪集団)を意味する山窩という言葉が定着していき、それと並行して各地の漂泊民を意味するサンカという共通語も定着していったのではないだろうか。 **サンカの源流(原像) [#c06e54d1] サンカの源流または原像を求めることは容易ではない。サンカと総称された各地の漂泊民の姿に微妙な差異があり、それらからひとつの源流を探りあてられるのか、あるいは源流は本当にひとつなのかという問題があるからだ。 また、近代以前のサンカについて信頼できる文献、記録、伝承といったものは皆無であるという問題もある。 さらに、幕末から明治にかけてサンカ社会には大きな変動(人口増、各種文化の流入)があったはずであり、近代以降の民俗学的な観察や調査をもとにして源流を推定するのは難しいということもあると思われる。 とはいえ、これまでの多くの観察や論考に頼るならば、サンカの源流(原像)はかねがね次のようなものであったと推定できる。これらいくつかの源流が融合しながら、サンカと呼ばれる生活者が形成されてきたのではないだろうか。 -漂泊の芸能民 --柳田は早くからクグツがサンカのルーツだとしている。 --後藤は「わざをぎ」(俳優)と「オゲ」との関連を指摘している。 -浮浪者 --サンカと浮浪者との関わりは極めて深い。 --後藤はサンカの自称は「ショケンシ」「ケンシ」「ケンタ」であると報告しているが、これらは乞食の総称である。 -狩猟採取民 --サンカが縄文以来の狩猟(漁)採取民の後裔であるという見方も魅力的である。 --彼らがスッポン、マムシ、薬草などの自然の産物を持参し、農民と交易していたのはそれほど以前のことではない。 -竹細工師 --サンカと竹との関わりは決定的である。 --サンカは各種の竹製品や竹細工を作り、売っていた。 --その製品とは、ササラ、籠、ホウキなどである。 --また、サンカが川漁するときに使う漁具も竹製品である。 --なお、『竹の民族誌』の中で沖浦和光は、竹には呪力があり、籠などという竹製品は呪具とみなされてきたと述べている。 **現実にどのような人々がサンカと呼ばれたか [#s734d3cc] サンカと呼ばれる人々が下層生活者と重なるという指摘は非常に重要である。 **サンカは本当にまとまりのある集団を作っていたか [#w50a1c11] ・サンカはかなり広範囲の交流を持っていたことは事実。 **山窩と忍者 [#w7ed0d2f] 忍者、山窩、警察というこの3者の関わりを考える上で、最後の忍者といわれた藤田西湖(本名:藤田勇、1965年没)の証言は貴重である。藤田は甲賀流忍者の家に生まれた。父の藤田森之助について次のように回想している。 >「私の父は、藤田森之助といい、捕縄術は名人といわれただけに、警視庁巡査となり、刑事を勤めて、抜群の働きをした。 > > 明治45年に退職したが、それまでに有名な仕立屋銀次や出歯亀を捕まえたり、奥多摩から秩父の山地に巣食っていた凶悪な山窩に手入れするなど、在職中に死刑囚8名、無期徒刑25名を捉えるというレコードの持ち主、「藤田刑事は鬼より怖い」と小唄の文句に唄われたほどの一種の名物男であった。 > > この父は昭和10年7月15日、64歳で亡くなったが、関東地区における山窩を手がけたのは父が初めてで、その捜査や実態調査の資料は死骸と共に埋めたが、今考えると惜しい気がする」 **サンカは犯罪集団だったのか [#ne572db6] ・サンカと接触があった荒井貢次郎もサンカの犯罪性には肯定的である。 ・サンカたちが使う隠語も犯罪との関わりが強い。 ・しかし、サンカ全体と犯罪との関わりはどの程度のものだったのか、それが誇張されることはなかったのか、サンカと犯罪との関わりは時代によってどう変化したのか、こうした問題についても今日の我々にはほとんど判断の手がかりが与えられていない。 **サンカは本当に漂泊民だったのか [#y21396f4] ・宮本は『放浪者の系譜』という論文の中で、サンカが定住していて、そこから出歩いている事実をはっきり述べている。 **サンカは被差別民だったのか [#nf73cb93] ・サンカの定住性とかかわって、荒井貢次郎は被差別性を指摘した。サンカの生業と被差別部落の副業が一致しているのだ。 *参考文献 [#x27e1250] -『図説 世界の先住民族』ジュリアン・バージャー -『サンカと説教強盗』